藤本 肇

(漢方ジャーナリスト) 健康雑誌・書籍などを中心にフリーライターとして活動し、 特に中国の漢方(中医学)事情に詳しい。編集制作会社 「プラスワン」代表

【第36回】

働き過ぎが原因
「炙甘草湯(しゃかんぞうとう)」が効果

 心電図などの検査でも、心臓そのものに異常はないのに、動悸が止まらない、息切れがする、胸苦しい、不安感がある、疲れやすい、気力がない…長期にわたってこんな症状を訴える人がいます。心臓神経症という心因性の病気で、とりわけ働き盛りのサラリーマン層に多い現代病の一つです。
 働き過ぎが原因の、いわゆる“ストレス症候群”の典型であり、日夜押し寄せる情報の波にもまれて、頭も身体も休むヒマのないお父さんにとっては、いつかかってもおかしくない心因性のトラブルといえます。
 東洋医学における心臓のとらえかたは、血液を全身に送り出すポンプとしての役割だけでなく、感情・精神をコントロールする、目に見えない「こころ」の源としても重視しています。「こころ」や「気」を実体のない非科学的なものとして一笑に付すのは簡単です。しかし、不定愁訴のような、検査によってもはっきりしない“病気らしくない病気”の治療に対して、中国漢方は長い経験にもとづく独特の治療法を持っており、そのアプローチはいま西洋医学の側からも注目を集めています。心臓神経症の諸症状はその大半が精神的なストレスからくる心の乱れによるものです。では、どうして心が乱されるのでしょう?
 一番多いのが、心臓の工ネルギー低下からくるものです。「気」の不足によって心臓の運動や機能のエネルギーが不足した状態は、中国漢方でいう「心気虚」であり、さらに生命現象を支える重要な概念「血」の働きの低下(栄養・滋潤作用の低下)によって身体が弱った「血虚」の状態としてとらえるわけです。
 この場合には、不足したエネルギーを補う「補気」と「補血」が具体的な治療法となり、代表的な方剤としては「炙甘草湯(しゃかんぞうとう)」があげられます。動悸や脈の異常に効果のある桂枝・甘草・大棗・生姜といった生薬に、滋養強壮剤ともいえる人参・麦門冬・地黄などを加えた処方です。
 もちろん、これがオールマイティーということではなく、人それぞれの症状(証)によって方剤を使い分けるのが中国漢方の基本です。精神不安の強い時には竜骨・牡蠣といった鎮静剤を加えた「桂枝加竜骨牡蠣湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)」、動悸や息切れに不眠症状を伴う人向けの「帰脾湯(きひとう)」、心の衰弱に精力減退などの老化現象、いわゆる腎虚が目立つ高齢者向けの「天王補心丹(てんのうほしんたん)」なども治療薬の一例です。いずれも身体全体の調子を整えようという中国漢方ならではの「心」の治療薬といえます。
(藤本 肇・漢方ジャーナリスト)